
こんにちは!
訪問保育士・心理セラピストの小西なつきです。
ブログをご覧くださりありがとうございます。
今日は私のプロフィールを。
人よりも少し変わった人生を送ってくているかと思うので・・
理解不能な部分もあるかと思いますが、温かい目でご覧ください!^^

1986年沖縄県にて生誕。
3姉妹の末っ子として生まれた私は、赤ちゃんの頃から周りの状況を捉え、じーっと人の動向を見つめているような大人しい子どもでした。

私はHSPの気質もあり、小さな頃から察する子だったんだと思います。
保育士になりたいと夢を描いたのは確か5年生くらいの頃。
小さな子が大好きで、「私は保育士になる」とその頃から思い描いていました。
中学時代は「自分は何者なんだろう」と漠然と抱くようになり、
「自分」「他人」というものに悩んだ時期だったと思います。
この頃から集団生活が苦痛だということに気付いていたのですが、
「社会はこういうもの」と悟っていたような気がします。
(父も押し付けるような感じだったので)

真面目な性格だったのもあり、学校はそれほど好きではなかったのですが、「とりあえず行かないと」といった考えでした。
勉強は親からも強要されず、それもあってか全く身にならず、
体育や音楽など感性や感覚でできるものが好きでした。
高校もなんとなく選んだところへ行き、卒業。
やっと保育の勉強ができる!ととても嬉しかったのを覚えています。
実際に保育を学べることはとても楽しかったです。
2年制の専門だったので、カリキュラムは詰め詰めで忙しかったのですが
やりたいことに向かえる、勉強できる喜びを感じました。
そして20歳。
晴れて夢を叶えて保育士に。
毎日子どもたちに囲まれる生活はとても幸せでした。こんな天職はないと思うほど。
しかしながら保育園に勤め始めてすぐに
集団生活、社会人としての振る舞い、段々と違和感を感じるようになってしまいました。
大好きな仕事に就いているにも関わらず、ストレスが大きく
保育士を諦める決意をしました。
悲しい、虚しい。
保育を失うことはとても辛い経験でした。
社会に馴染めない自分を攻め、そして社会に対しても不満を抱くように。
保育士を諦めた後は、子供服の販売員を経験。
そして、添乗員も経験しました。
保育から離れ、違う職種を経験したことも
今となっては人生の修行だったのかもしれません。
保育士に戻るキッカケとなったのは
2人の姉の続いた妊娠、出産。
沖縄にいる次女に、オーストラリアにいる長女。
私は姉の出産の手伝いに行くことになりました。
そして姉の子どもを抱っこした時
やっぱり私は保育士じゃないとダメだ!と
保育士を諦めきれない心が再び沸きあがりました。
もう一度保育士として頑張ろう!と保育園に再就職。
ところがやはり、社会に馴染めない自分。
そしてとても忙しい園だったので、
行事に追われ、雑務に追われ、余裕がないことで
保育をする意味を見失ってしまいました。
自分はもう社会ではやっていけないかもしれない。
自分の不甲斐なさ、社会のあり方。
どれをとっても不満ばかりで何が正解なのか分からずすべて投げ出してしまいたかった。
そんな時に降りてきたのは
“海外に行こう!!”という突拍子もない選択肢。
オーストラリアのビザが取れるのは30歳まで。
私はその時29歳になっていました。
この海外へ行くという選択肢はとても大きなものでした。
海外での保育を見れたこと、
お世話になったオーペアでの家族のオーナーが起業を後押ししてくれたこと。
すべて今に繋がっていて
海外に飛び出してよかったと思うことばかりです。
そして帰国後、訪問保育士(ベビーシッター)として起業。
一対一の子どもの個性を見極めながら
心を満たす保育ができること、何よりの喜びです。
これまでの訪問保育は850回以上。
そして、姉の育児ノイローゼの経験や、
シングルマザーで子育てすることを間近で見たことをきっかけに
ママの心を大切にした子育てを考えるようになりました。
2023年7月よりママの心にフォーカスした心理セラピーのサービスを開始。
子どもの個性だけではなく、ママの個性も大切にしたサポートを行っています。
私は小さい時から自由に生きたいと思っている変わった子でした。
だけど、父から言われる言葉は
「安定した仕事につけ」
「一つのことを貫くのが当然だ」
などなど、私の価値観とは違う言葉を常に浴びせて育てました。
反対に母は何にも口出しせず、
「あんたならなんでもできるよ」と背中を押してくれたのです。
どちらの言葉を信じるか。
それは自分の価値観を肯定してくれる母の言葉です。
父には随分と反発した人生で
それを引きずって
違和感を感じる人生だったのかと今となっては思います。
幼少期の親の関わりは人生を左右する。
セラピーを通してそう確信しました。
私を人生を救ってくれたものが二つあります。
一つ目は、
小さい頃から夢見ていた保育。
私が保育をするときは
自分がこの子だったらどんな言葉をかけてほしいかな?と
一つ一つ丁寧な関わりを心がけています。
それは幼き自分の心を癒すためでもあり、
子どもたちへ「そのままでいいよ」と伝えることでもあります。
そして、もう一つはセラピーです。
人生で絶望しかけた時、救ってくれたのはセラピーでした。
セラピーを受けていなければ今の私はなかったかもしれません。
私は救ってくれた保育とセラピーで
子どもたちを保育で幸せにすること、
そしてセラピーで子育てをするママの心のサポートをしていこうと思っています。
人生でたくさん悩んで、もがいてきたからこそ
私らしい使命を見つけられたような気がしています。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました^^
世界中の子どもたち、
そして子どもを取り巻く社会が温かいものでありますように。
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